他ジャンルのお絵かきとか、感想色々とか、バトンとか、日記とかです。
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さて、九日目の旅日記です。
帰ってきたら更新するって言ってたじゃねーか!という方。
ごもっともです。
ほんとすみません。
ですが、私はかなり忘れっぽくて、でもなんとかこの旅行の内容を自分の為に残しておきたいので。
12日目分まで、どうか目をつぶってやって下さい。
ではでは、読んでもいいよって方のみ、続きからどうぞ。
今回はちょっと長いです。行った所が行った所だったので。
帰ってきたら更新するって言ってたじゃねーか!という方。
ごもっともです。
ほんとすみません。
ですが、私はかなり忘れっぽくて、でもなんとかこの旅行の内容を自分の為に残しておきたいので。
12日目分まで、どうか目をつぶってやって下さい。
ではでは、読んでもいいよって方のみ、続きからどうぞ。
今回はちょっと長いです。行った所が行った所だったので。
朝も早よから起き出す私。
理由はチェックイン時に渡された紙と、手描きで描かれた可愛らしい館内&周辺案内MAPに有ります。
MAPの中の露天風呂のところには、こう記載がありました。
『露天風呂からは日の出を見ることが出来ます』
そして渡された紙には、『明日の日の出 5:13』とご丁寧に。
これはもう行くしか無いじゃないか。
という訳で目覚ましを5:05にセット。
旅行中だけ異様に目覚めの良い私。即風呂へ向かいます。
が、このホテルの構造は少し特殊で、いったん一階まで降りて、再び同じ階にある浴場へ向かう事に。
そして、回り道をして向かった先の露天風呂。
もう出てるジャン☆ヤラレチャッタ
予報はあくまでも予報ということなのか、単に数分遅刻したのか、既にご来光は半分ほど顔を覗かせておりました。
残念。でも綺麗だったからいいか。
朝食はバイキング形式。
先に和風セットを食べ、完食後洋風セットへ向かう私。勿論完食(笑)
普段朝食を食べられないのは、起きるのが遅いからだと解りました。
その後昨日のウチに纏めておいた荷物を持って、早々にチェックアウト。
最寄り駅から目指すは諫早です。
実は事前にJTBで二日間の乗り放題切符を買っていたわけで。
予定では、今日に諫早→浦上、長崎→ハウステンボス。翌日にハウステンボス→博多(特急)と乗る事になります。
勿論特急も自由席乗り放題。すさまじい元のとれっぷりです(笑)
さて、諫早にて切符も取得し、次の目的地は浦上地区。
云わずと知れていて欲しい、原爆投下爆心地です。
写真を見ただけで一緒に痛くなるというあまり嬉しくない想像力を有しているらしい私にとって、結構気合いの必要な場所なわけで。
情けないことを云わせて貰えば、実は避けて通りたい。
でも、折角長崎に来ておいて、何も見ず、何も学ばずに通り過ぎるなんて、情けないどころか人間失格レベルです。
なので、意を決して、その地区一体に広がる記念館や記念公園を巡る旅に出発。
如己堂から永井博士資料館、天主堂を通って平和公園、グラウンドゼロへ。
原爆はその威力を最大限に発揮する為に、実験を重ねて、もっとも被害の酷くなる500メートル上空で爆発したそうです。
そして、とても効果的にもたらされたその熱は、地上では一万度にもなったとか。
それを思いながら見上げる爆心地の空は、澄んで綺麗で、やっぱり想像して怖くなりました。
ここで今もう一回落ちたら、取り敢えず溶ける事は確実です自分。
原爆、ダメ、絶対。
被爆当時の物だという、食器の埋まった地層を見たりして、いよいよ原爆資料館へ。
内容は広島より軽いと聞いてはいましたが、やはり入るのにも勇気がいる場所です。
ちょうど修学旅行生とかぶったし、と自分に言い訳して。
傍でアイスを売ってるおばあちゃんとアイス食べながらしばし談笑。
「頑張って勉強してきんさい」の言葉に後押しされて、ぴるぴるしながら館内へ。
ちょっと直視しきる自身が無かったので、入り口にいらっしゃる平和案内人という方にお願いして、解説付きの案内を頂くことに。
止まった時計、黒焦げの人らしきもの、ひしゃげた鉄骨、足しか残っていない遺体、溶けたガラスに混ざって張り付いた骨(実物がありました)。
その内容は確かにかなりきつくて辛いものではありましたが、目を背けないという目標はなんとか守りました。
と、そこで、原爆後遺症のコーナーに。
たった一枚だけのカラー写真。
背中と腕が、白と赤のまだらに焼けただれた少年。顔の右半分がグチャグチャな男性。
もう、目を覆うのをこらえるのがやっとな程でした。
と、そんな私に、案内人のおじさんが一言。
「その人たちはみんな元気です。僕のお寺巡り仲間です。」
「え?」
「あ、僕も被爆したんですよ、3.2kmのところで。でも皆今は元気です。」
そう云われた瞬間、今までどの写真を見た時にもなんとか堪えてた涙が、堰を切ったようにぼたぼたと。
『生きててくれて、ありがとう』と頭の中に溢れてました。
無関係の私が云う事じゃないし、云われても困るだろうから云いませんでしたが。
それでも物凄く、そういいたくて仕方有りませんでした。云いませんでしたけど。
嬉しかったのか、可哀想だったのか、驚いたのか。今でも解らないくらい泣きました。
あんまり泣くから哀れに思ってくれたんでしょう、その人は話題を変えて私の旅の予定とかを聞いてくれました。
九州縦断一人旅で残り5日程だと答えると、その方はいいました。
「遠くからここまで、知りに来てくれた事こそが、僕らにとってはありがたいんです。まだ旅が続くなら、これから先は全部楽しい所へ行って下さい。楽しい旅にしなきゃ駄目ですよ。」
あの、すいません、それむしろトドメっていうか。
もう、ほんと、どうしようっていうか。
なんとかご挨拶して外へ出て、そのまま入るときお話したアイス売りのおばあちゃんの横に縮こまって、体育座りで延々泣いてました。
んで、電車乗り遅れました(笑)流石私。お約束。
気を取り直して目指すはハウステンボス。
夜景が撮りたいのと、着く時間が遅いのとで、17時からの券を買いました。
で。
入ったらなんとその券の有効時間内には、展望タワー位しか動いてないという衝撃の展開。
すいません、ディズニーに慣れてる東京モンにはこれはきつすぎます。
遊園地が17時で閉まるとか、予想だにしない展開過ぎて泣きます。
しかもそれで入園料2000円はぼったくりだろコレ!!と思ったんですが。
よくよく見たら、ガイドブックの見開きの1/4を占める広告。
…解ったよ、納得だよ。
コレは入園料やない、義援金や!!
花火も綺麗だったのでまぁギリギリ納得してホテルへ帰りました。
さて、後は温泉を堪能してご飯食べて寝るだけなんですが。
ここでまた問題発生。なんとご飯の事をさっぱり忘れていた私。
ホテルにもレストランは有りますが、当然の様に高い。
付近を見るとなんと400メートル先にファミマがあるとの看板が。
まぁ400メートルくらいなら…とケチ根性で歩き出した私。
初期段階…やや暗い道。でもまだまだ大丈夫。
中期段階…だんだん山深くなる。街灯の少なさに笑えるレベル。
末期段階…車のヘッドライトがないと進めないレベル。
最終段階…街灯消失。一面の湖とも田圃ともつかない水面に遠くの民家の明かりがうっすらと。
死ぬわ!!本気で死ぬわ!!怖いわ!!!
生まれて初めて本気で自分のケチっぷりを後悔した夜でした。
ちなみに帰ってみたらあけた覚えのないクロゼット開いてた挙げ句に、閉めたら中でハンガーが踊ってくれたので、電気を全部つけて寝ました。
怖い怖い怖い。おばけなんてうーそさー。
理由はチェックイン時に渡された紙と、手描きで描かれた可愛らしい館内&周辺案内MAPに有ります。
MAPの中の露天風呂のところには、こう記載がありました。
『露天風呂からは日の出を見ることが出来ます』
そして渡された紙には、『明日の日の出 5:13』とご丁寧に。
これはもう行くしか無いじゃないか。
という訳で目覚ましを5:05にセット。
旅行中だけ異様に目覚めの良い私。即風呂へ向かいます。
が、このホテルの構造は少し特殊で、いったん一階まで降りて、再び同じ階にある浴場へ向かう事に。
そして、回り道をして向かった先の露天風呂。
もう出てるジャン☆ヤラレチャッタ
予報はあくまでも予報ということなのか、単に数分遅刻したのか、既にご来光は半分ほど顔を覗かせておりました。
残念。でも綺麗だったからいいか。
朝食はバイキング形式。
先に和風セットを食べ、完食後洋風セットへ向かう私。勿論完食(笑)
普段朝食を食べられないのは、起きるのが遅いからだと解りました。
その後昨日のウチに纏めておいた荷物を持って、早々にチェックアウト。
最寄り駅から目指すは諫早です。
実は事前にJTBで二日間の乗り放題切符を買っていたわけで。
予定では、今日に諫早→浦上、長崎→ハウステンボス。翌日にハウステンボス→博多(特急)と乗る事になります。
勿論特急も自由席乗り放題。すさまじい元のとれっぷりです(笑)
さて、諫早にて切符も取得し、次の目的地は浦上地区。
云わずと知れていて欲しい、原爆投下爆心地です。
写真を見ただけで一緒に痛くなるというあまり嬉しくない想像力を有しているらしい私にとって、結構気合いの必要な場所なわけで。
情けないことを云わせて貰えば、実は避けて通りたい。
でも、折角長崎に来ておいて、何も見ず、何も学ばずに通り過ぎるなんて、情けないどころか人間失格レベルです。
なので、意を決して、その地区一体に広がる記念館や記念公園を巡る旅に出発。
如己堂から永井博士資料館、天主堂を通って平和公園、グラウンドゼロへ。
原爆はその威力を最大限に発揮する為に、実験を重ねて、もっとも被害の酷くなる500メートル上空で爆発したそうです。
そして、とても効果的にもたらされたその熱は、地上では一万度にもなったとか。
それを思いながら見上げる爆心地の空は、澄んで綺麗で、やっぱり想像して怖くなりました。
ここで今もう一回落ちたら、取り敢えず溶ける事は確実です自分。
原爆、ダメ、絶対。
被爆当時の物だという、食器の埋まった地層を見たりして、いよいよ原爆資料館へ。
内容は広島より軽いと聞いてはいましたが、やはり入るのにも勇気がいる場所です。
ちょうど修学旅行生とかぶったし、と自分に言い訳して。
傍でアイスを売ってるおばあちゃんとアイス食べながらしばし談笑。
「頑張って勉強してきんさい」の言葉に後押しされて、ぴるぴるしながら館内へ。
ちょっと直視しきる自身が無かったので、入り口にいらっしゃる平和案内人という方にお願いして、解説付きの案内を頂くことに。
止まった時計、黒焦げの人らしきもの、ひしゃげた鉄骨、足しか残っていない遺体、溶けたガラスに混ざって張り付いた骨(実物がありました)。
その内容は確かにかなりきつくて辛いものではありましたが、目を背けないという目標はなんとか守りました。
と、そこで、原爆後遺症のコーナーに。
たった一枚だけのカラー写真。
背中と腕が、白と赤のまだらに焼けただれた少年。顔の右半分がグチャグチャな男性。
もう、目を覆うのをこらえるのがやっとな程でした。
と、そんな私に、案内人のおじさんが一言。
「その人たちはみんな元気です。僕のお寺巡り仲間です。」
「え?」
「あ、僕も被爆したんですよ、3.2kmのところで。でも皆今は元気です。」
そう云われた瞬間、今までどの写真を見た時にもなんとか堪えてた涙が、堰を切ったようにぼたぼたと。
『生きててくれて、ありがとう』と頭の中に溢れてました。
無関係の私が云う事じゃないし、云われても困るだろうから云いませんでしたが。
それでも物凄く、そういいたくて仕方有りませんでした。云いませんでしたけど。
嬉しかったのか、可哀想だったのか、驚いたのか。今でも解らないくらい泣きました。
あんまり泣くから哀れに思ってくれたんでしょう、その人は話題を変えて私の旅の予定とかを聞いてくれました。
九州縦断一人旅で残り5日程だと答えると、その方はいいました。
「遠くからここまで、知りに来てくれた事こそが、僕らにとってはありがたいんです。まだ旅が続くなら、これから先は全部楽しい所へ行って下さい。楽しい旅にしなきゃ駄目ですよ。」
あの、すいません、それむしろトドメっていうか。
もう、ほんと、どうしようっていうか。
なんとかご挨拶して外へ出て、そのまま入るときお話したアイス売りのおばあちゃんの横に縮こまって、体育座りで延々泣いてました。
んで、電車乗り遅れました(笑)流石私。お約束。
気を取り直して目指すはハウステンボス。
夜景が撮りたいのと、着く時間が遅いのとで、17時からの券を買いました。
で。
入ったらなんとその券の有効時間内には、展望タワー位しか動いてないという衝撃の展開。
すいません、ディズニーに慣れてる東京モンにはこれはきつすぎます。
遊園地が17時で閉まるとか、予想だにしない展開過ぎて泣きます。
しかもそれで入園料2000円はぼったくりだろコレ!!と思ったんですが。
よくよく見たら、ガイドブックの見開きの1/4を占める広告。
…解ったよ、納得だよ。
コレは入園料やない、義援金や!!
花火も綺麗だったのでまぁギリギリ納得してホテルへ帰りました。
さて、後は温泉を堪能してご飯食べて寝るだけなんですが。
ここでまた問題発生。なんとご飯の事をさっぱり忘れていた私。
ホテルにもレストランは有りますが、当然の様に高い。
付近を見るとなんと400メートル先にファミマがあるとの看板が。
まぁ400メートルくらいなら…とケチ根性で歩き出した私。
初期段階…やや暗い道。でもまだまだ大丈夫。
中期段階…だんだん山深くなる。街灯の少なさに笑えるレベル。
末期段階…車のヘッドライトがないと進めないレベル。
最終段階…街灯消失。一面の湖とも田圃ともつかない水面に遠くの民家の明かりがうっすらと。
死ぬわ!!本気で死ぬわ!!怖いわ!!!
生まれて初めて本気で自分のケチっぷりを後悔した夜でした。
ちなみに帰ってみたらあけた覚えのないクロゼット開いてた挙げ句に、閉めたら中でハンガーが踊ってくれたので、電気を全部つけて寝ました。
怖い怖い怖い。おばけなんてうーそさー。
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